ゲイの歴史(古代~江戸まで) [ゲイ嚢人]
今回は一度ゲイの歴史について考察する。
一部私が勝手に推測して書いているので全て事実とは限らない面があるのでご容赦いただきたい。
私が調査した結果では、ゲイの歴史は古代ギリシャまでさかのぼる。
古代ギリシャ時代のソクラテスから始まり、マケドニアのアレクサンダー3世によって、ペルシャ、アラビア、インドまで伝わったとされているがイスラム教の影響でゲイはあまり発達していないと推定できる。(インドルート説)
また、シルクロードを経由して直接中国に伝わったとも推定できる。(シルクロードルート)
中国では秦の時代に宦官を「ネコ」にして発達したと考えられる。
しかし日本では宦官は存在しない。元々宦官は異民族を捕虜にした際に男性器を切り取るのが主流であったために日本では伝わらなかったと推定される。
ゲイ文化は飛鳥時代の前後に中国から直接導入されたのと百済・新羅から仏教伝来と共に伝えられたとしているが定かではない。
但し山岸涼子作「日出処の天子」では厩戸皇子が帰化人淡水や蘇我毛人とのゲイシーンが描かれているがこれが最初のゲイの始まりではないかと思うが細かい資料がなく定かではない。(第一次ゲイ伝導説?「日出処の天子」の解説は後日時間があればする予定である。)
また、唐の時代には玄奘がインドから真言仏教の基礎になる経典と共にゲイのテクニックを持ち帰ったと勝手に創造させていただく。
それを空海が、遣唐使によって日本に伝わったものが始まりだとされている。
空海の件は以前紹介したのでここでは割愛させていただく(ゲイの始祖説)
日本のゲイ(男色)は「女性は穢れた存在」という仏教の教えから女犯をタブーとした寺院で僧侶が稚児と関係するのが盛んになったことが始まりであり、そこから貴族や武士たちの間でもゲイ(男色)が流行し、「衆道」が行われるようになった。
一方ヨーロッパではルネサンス期にレオナルド=ダ=ビンチやミケランジェロによってハードゲイが確立し、大航海時代の到来によって鉄砲とキリスト教伝来の影で梅毒とハードゲイも伝えられたのではないかと推測する。
現に織田信長は黒人男性を気に入りそばに置いていたことから日本のハードゲイの走りと勝手に断定しておく。
江戸時代になると日本は鎖国をしたが独自の「陰間茶屋」の発達と共に「若衆文化」が台頭し、ゲイ(男色)は町人たちの間でも大流行し、井原西鶴は、著書『男色大鏡』(1687年)の中で「世界一切の男美人なり。女に美人稀なりと安倍晴明が伝へし(現代訳:世界の全ての男は美しい。女に美人は稀だ、と安倍晴明は言い伝えている)」とも書いている。
また、松尾芭蕉の「奥の細道」は愛していた青年の死を忘れるためにしたものであり、旅先でもゲイ(男色)を発揮している。
明治以降については今回調査不足であるので後日結果を発表していきたいと思う。
つ「葉隠」。
あれも「ハードゲイ」の書物ですよと、逝ってみるテスト。
by SY1698 (2008-06-17 00:37)
「葉隠」と言えば三島ですね
by T.N (2008-06-17 20:48)
to ホタルの館様
niceありがとうございます
by NETの爆弾 (2008-06-17 21:27)
to SY1698様&T.N様
すいません、まだ近代ゲイ(明治~昭和)の研究ができていない状況ですのでしばらくお待ちください。
by NETの爆弾 (2008-06-17 21:29)
期待しておりますので、ゆっくりとネタを暖めてください。
人肌で(ヲイ
あっ「松尾芭蕉」のゲイ説は、すでに小林信彦氏が「ちはやふる奥の細道」で言及しています(新潮文庫、現在絶版)。下についている補注のうち、原文の現代語訳が「それ」だったりするという罠。
by SY1698 (2008-06-17 22:37)
菊池寛とか濃い方々が多いですからな。
実は5月に町村の選挙区になっているところに引っ越しましたので
荷物を片付けながら整理してまいります。
by NETの爆弾 (2008-06-17 22:56)