馬句「+」が来期から大洋の打撃コーチにある意味期待したいな。 [横浜大洋銀行]
駒田氏が打撃コーチ 横浜来季スタッフ
【横浜】来季のコーチ陣を発表した。新スタッフは次の通り。
【1軍】
監督 大矢明彦(60)=駒大 背番号85
投手 杉本正(49)=御殿場西高 77
同 野村弘樹(39)=PL学園高 75
打撃 杉村繁(51)=高知高 96
同 駒田徳広(46)=桜井商高 73
内野守備走塁 水谷新太郎(54)=三重高 79
外野守備走塁 波留敏夫(38)=京都大谷高 71
バッテリー 福沢洋一(41)=九産大 72
ストレングス&コンディショニング 塚原賢治(43)=日体大大学院 87
同 ジョン・ターニー(36)=ウエスタン・ワシントン大学院 70
【2軍】
監督 田代富雄(54)=藤沢商高 76
馬句「+」が来期から打撃コーチになるとは何かびっくりしたぞ。
晩年のトホホな「2ゴロでゲッツー」を指導しないことを祈りますか。
佐伯辺りに「あいつはゲッツーになる打撃を指導しているのとちゃうの」と突っ込まれることを祈りますか。
あと気になるのが来期の三塁コーチャーが「春と塩」になるのか、水谷にしておけ
今期限りでやめた青山の「壊れた信号機」、森時代の辻の「辻斬り」になる予感あり。
駒田と言えば、数々のエピソードがある人ですので軽く紹介しておく。
来期の大洋の監督は [横浜大洋銀行]
横浜が正式に続投要請 大矢監督、返事は保留
横浜の佐々木邦昭球団社長は6日、名古屋市内で大矢明彦監督と会談し、3年契約の最終年となる来季の続投を正式に要 請した。同監督は「この成績でこのまま来シーズンをやっていいものか。考える時間を頂きたい」と返事を保留したが、同社長は「前向きに検討していただける という感触はあった」と話した。
約1時間半の会談では、今季の反省や来季の戦力補強などについて話し合った。最下位に低迷する中での続投 要請について、佐々木社長は「もう一度大矢にかけてみたい。フロントと現場が一体となって雪辱する機会を与えたいし、ファンからも与えてもらいたい」と説 明。大矢監督は返答の期限について「長引かせてはいけない」とし、来週中にも結論を出す考えを示した。
あー来年も大矢さん何ですか
佐々木球団社長の「もう一度大矢にかけてみたい。フロントと現場が一体となって雪辱する機会を与えたいし、ファンからも与えてもらいたい」
フロントと現場が一体となるだって
インテリヤクザが監督をやっていたときは全く一体になっていなかったではないか。
まずは日産自動車が居座っているフロント陣を更迭しる。
まあ、来期の大矢采配に注文するとすれば
①石井豚、鈴木蛸を引退させろ
②川村以来、生抜きの先発投手を育成しろ
③吉見に代打を送るな
④吉見を打者に転向させろ
こんなへっぽこ具合だったらスカパーの契約を解約するぞ。
10年前の今頃はヤクルトと優勝争いをしていたのが懐かしいですな
東京馬鹿スタジアムはマルハに戻してほしいですな
今回は筆記試験だぞ [横浜大洋銀行]
ヘッポコ球団オリンピックのドサクサで阪神に3連勝 [横浜大洋銀行]
阪神は五回、先頭の林威助がチーム2本目の安打を放ったが、後続が凡退。横浜は六回、内川の適時打でリードを広げた。
阪神は八回、狩野の適時二塁打で1点を返したが、横浜は継投で逃げ切り、今季初の同一カード3連勝を飾った。
8回1失点の吉見は今季初勝利。阪神は2度目の同一カード3連敗。
吉見が投げない時は4番ファースト吉見でスタメン決定ですな。
石田文樹さん(横浜打撃投手)お悔やみ申し上げます [横浜大洋銀行]
7月15日にお亡くなりになりましたが
私にとっては思い出がある選手なので今回特集します。
元取手ニ、甲子園V腕の石田文樹氏が死去
横浜のチームサポーター(打撃投手)で取手二時代の84年夏の甲子園で全国制覇を達成した石田文樹(いしだ・ふみき、登録名・石田大也=いしだ・ともや)氏が15日午前1時40分、直腸がんのため横浜市内の病院で死去した。41歳だった。
石田氏は茨城県出身で取手二のエースとして84年春夏連続甲子園出場。春は準々決勝で優勝した岩倉に敗退。夏は決勝に進出して、当時2年生だった桑田、
清原の“KKコンビ”を擁して連覇を狙ったPL学園を延長の末に8―4で下して日本一に輝いた。卒業後は早大に進学したが中退。その後は社会人野球の日本
石油(現新日本石油ENEOS)入りして87、88年の都市対抗にも出場した。88年ドラフト5位で大洋(現横浜)入団。主に中継ぎとして通算25試合1
勝0敗、防御率4・59で94年に現役引退。その後はチームサポーターとして打撃投手などを務めていた。
関係者によれば石田氏は今年3月中旬に体の不調を訴えて入院し、4月に直腸がんの手術を受けた。一時は快方に向かって5月に退院したが、6月下旬に再入
院。ベッドでは「もう一度バッティングピッチャーをやりたい」と復帰を夢見ながら、最下位に低迷する横浜の動向を常に気にしていた。また、神奈川・川和で
控え投手としてベンチ入りしている長男・翔太くん(2年)の晴れ姿を見るのを楽しみにしていたが、かなわなかった。
私が小学校時代の高校野球はPL学園のKKを中心に盛り上がっていた時代でありました。
当時の取手二高の石田投手がPL打線を抑えての優勝は非常に感動しました。
あまりにも早くお亡くなりになるとは思いませんでした。
ご子息さんも健闘しました。
川和石田が父に捧げる力投/北神奈川大会
<高校野球北神奈川大会:川和8-5霧が丘>◇16日◇2回戦
川和(北神奈川)が霧が丘を8-5で破り、3回戦に進出した。15日、直腸がんのため亡くなった横浜打撃投手の石田文樹さん(享年41)の長男翔太投手(2年)が先発。悲しみをこらえながら5回途中まで3安打4点に抑え、父に「白星」を贈った。
亡き父にささげる力投だった。背番号「20」の石田がマウンドに上がった。7回を無失点と好投した初戦(橋本)とは異なり、4回まで毎回走者を出す苦しい投球内容。「マウンドでは(父の死を)忘れようと思った。私情を持ち込みたくなかったから」と強い意志で投げ抜いた。5回、先頭打者に安打を許し降板したが、4回0/3を3安打4失点。気持ちがこもった70球で試合の流れを作った。
志願の先発だった。この日、岩本晃典監督(20)から「投げられるか」と聞かれ、「いけます」と即答した。「顔をみても普段と変わらなかった」(同監督)とマウンドに送り出された。171センチ、61キロ。177センチの父より小柄だが、自己最速は135キロ。体全体を使うフォームは父をほうふつさせる。女房役の山田一輝(3年)も「気持ちが入っていました」と右腕の粘投に目を見張った。
ナインから後押しされた。6-3とリードを広げた4回、茂垣太志主将(3年)が2ランを放ち、突き放した。「頼れるエースと思っています。チームのため、石田のために打ちたかった」。病状を知っていたのはごく一部の学校関係者など数人。部員には誰ひとり知らされていなかった。この日、初めて訃報(ふほう)を知ったナインは「知らないことにしよう」(茂垣主将)と全員、普段通り接した。その打線は9安打8得点と結果で後押しした。
小2の時に野球を始めた。「自分が(野球の)質問をしないと、教えてくれませんでした」という。だが、病床の石田さんは今大会をどれだけ楽しみにしていたことか。親しい球団関係者が6月に見舞った際、ベッドで日程表を見ながら「4回戦までいけるかもしれない。自分の息子が投げるのは見ていられないんだよね。でも良くなったら、やっぱり試合を見に行きたい」とうれしそうに話していたという。願いかなわず、石田さんは息を引き取った。15日、石田は病院のベットで父をみとった。「ありがとう」。ほとんど意識のない父に感謝の気持ちを込めて、最後の言葉をかけていた。
昨夏、過去最高となるベスト8進出を果たした。「次の試合も絶対投げたい。ベスト8を超える結果を残したい」と、最後まで気丈に話した。涙はなかった。再三のピンチでも「自分の力でなんとかしたかった」と踏ん張った。石田の元に、この試合の使用球が贈られた。
打撃投手の傍らご子息様の成長を陰ながら見ていたんですね。
残念ながら川和高校は負けてしましたが、来年は「背番号1」をつけた石田翔太君が北神奈川代表で甲子園に出場する姿を見たいですね。
大洋ファンの私にとっての唯一の楽しみがこれしかないとは [横浜大洋銀行]
村田、球団タイ記録達成 5試合連続弾
6回横浜2死一塁、村田が左越えに5試合連続となる27号2ランを放つ=横浜 横浜の村田が六回にチーム記録に並ぶ5試合連続本塁打を放った。5球目、高めに入った直球を左翼席に運んだ。
プロ野球記録は王(巨人)とバース(阪神)の7試合で、チームでは2004年ウッズ(現中日)らの5試合連続に並んだ。それでも、チームが敗れたために感想は「特にないです」。本塁打王争いでもライバルのラミレスの目前で27号を放って並んだが、「個人的な目標はチームにとってマイナス」と無関心を装った。(横浜)
今シーズンの大洋ヘッポコ球団は村田の2年連続ホームラン王とアゴジラ内川の首位打者しか楽しみがないですな。
阪神ファンの方には日頃の感謝の気持ちとして自棄酒を奢ってもらえるのもちょっとなという感じですな。
今シーズンは100敗めざして
頑張れヘッポコ球団
へっぽこ球団(横浜大洋ホエールズ)のドラフト選手の隠し場なくなる [横浜大洋銀行]
「三菱ふそう」野球部が活動休止へ…原油高でリストラ対象に
三菱ふそうトラック・バス(本社・川崎市)は10日、同社硬式野球部「三菱ふそう川崎」について、11月の日本選手権をもって活動を休止すると発表した。
相次ぐリコールなどで悪化した業績の回復を目指してきたが、昨今の原油高が追い打ちをかけ、今後の社内リストラの対象に野球部が入ったため。選手の移籍希望は支援する方針という。
同野球部は1957年に創部(当時は三菱重工川崎)。日本選手権は8度出場し95年に優勝。都市対抗は18度出場、2000年、03年、05年に制覇。04年には同社製大型車の欠陥隠し事件などで都市対抗出場を辞退。選手たちがリコールへの対応に当たり、その翌年の都市対抗優勝でチームの底力を見せた。
大洋球団の選手供給元である「三菱ふそう川崎」が休部になるとは非常に残念です
来年以降のへっぽこ球団のドラフト戦略は一体どうなるか
へっぽこ球団に入団した選手一覧
* 村田辰美投手(1974年近鉄ドラフト2位→横浜大洋)
* 高浦美佐緒捕手(1979年横浜大洋ドラフト外)
* 金沢次男投手(1981年横浜大洋ドラフト5位→日本ハム→ヤクルト→ロッテ)
* 四條稔内野手(1988年巨人ドラフト4位→オリックス→横浜)
* 中野渡進投手(1999年横浜ドラフト7位)
* 竹下慎太郎投手(2000年横浜ドラフト8位→阪神)
* 加藤武治投手(2002年横浜ドラフト4巡)
* 森大輔投手(2003年横浜自由獲得枠)
よく見たらこの中でへっぽこ球団で活躍したのは「銀ちゃん」こと金沢次男しかいないのも悲しいが・・・
おい三浦 来期は「トラの番長」になってしまうんか [横浜大洋銀行]
阪神が三浦獲りへ!今オフFAの目玉や
阪神が、今オフFA補強の有力候補として、横浜・三浦大輔投手(34)を水面下で調査していくことが16日、分かった。三浦は昨オフにFA権を再 取得。今季が6年契約の最終年にあたるため、FA権を行使せず横浜に残留したが、来季以降は未定。現在、リーグ最下位に苦しむ横浜も全力で引き留めにあた ることは必至だが、通算119勝を挙げる“ハマの番長”の動向を、猛虎が徹底マークに入る。
◇ ◇
阪神が、今オフのFA市場をにらみ“ハマの番長”こと横浜・三浦の獲得を視野に、水面下での調査に乗り出す。
球団は、今季終了までに、現在のFA権保有者、今季中のFA権取得予定者をリストアップし、獲得の可能性を探る。中でも、虎キラーとして知られる三浦には高い関心を示しているもようだ。
三浦は、昨季07年シーズン中にFA権を再取得。03年から横浜と6年契約を結んでいたため、権利行使せず、契約最終年となる08年も横浜と契約を結んだ。だが来季以降についてはFA権行使の有無を含め白紙状態で、動向に注目が集まる。
阪神は昨オフは新井のFA補強に成功。今オフのFA補強について球団関係者は「新井だけでなく、福留にも動いた昨年ほど積極的に動くかは未定。しかし数年先までのチーム編成を見据えて必要となればすぐに動けるよう準備だけは整えておく必要がある」と話した。
阪神先発陣は、今季は岩田が台頭したが、安藤、福原が故障離脱し、昨季に続き最年長・下柳が柱を背負っているのが現状だ。このため、1年を通じてさらにローテを安定させる意味でも、エース級補強の可能性を探る必要がある。
三浦は昨季、2年ぶりの2けた勝利を挙げたが、今季は現段階で2勝6敗と苦しみ、6月4日には右肩に張りを訴えて登録抹消された。だが、現在は1軍に帯同 しながら調整を続けており、交流戦終了後にも1軍復帰する見込みだ。こうしたことから阪神は、今回の故障離脱が今後の三浦の投球に影響があるのかも含めて 調査を続けていく。
当然、横浜側も投手陣の柱である三浦の引き留めに全力を挙げることは間違いない。あくまで阪神が獲得に動けるのは、横浜との残留交渉が不調に終わった場合に限られるが、阪神球団内での三浦の評価は高く“有事”には即座に動く態勢だけは整えておく。
三浦は奈良県出身で、少年時代は熱狂的な虎ファン。また大阪市内の岡田監督の実家近くで過ごした時期もあり、プロ入り前から岡田監督とは旧知の間柄だ。す べては“三浦次第”ではあるが、こうした虎との縁もあるだけに「ハマの番長」が「虎の番長」に転身することも十分に考えられる。
まあ、三浦選手は奈良県出身でありますし、父親も阪神の「タニマチ」なので、確か阪神を希望していたと思っていましたが、大洋に無理やり6位で指名されて現在に至る。
阪神としては三浦にやられているので、少しでも大洋の弱体化を狙っているとしか言えんな
私としては「生涯大洋」でいて欲しい。
もし阪神に行くんなら、人的保障で「藤川希望」ですな。
元大洋の加藤博一氏死去 お悔やみ申し上げます。 [横浜大洋銀行]
私的には非常にショックです。
加藤博一氏死去…大洋時代にスーパーカートリオで人気
阪神、大洋などで活躍した元プロ野球選手で、野球解説者の加藤博一(かとう・ひろかず)さんが21日午後0時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。葬儀・告別式は未定。2年前から、がん治療のため入退院を繰り返していた。 |
家族によると、2年前に肺がんと診断され、昨年2月には左肺を摘出した。術後は驚異的な回復で仕事に復帰し、米国でのメジャーキャンプの取材なども精力的にこなしていた。しかし、同7月に左足大腿骨に転移していたことが判明。年明けになって症状が悪化したという。
加藤さんは佐賀県出身。1970年、多久工業高校からドラフト外で西鉄入り。76年に阪神へ移籍後、レギュラーに定着した。プロ入り初本塁打は、初登板の江川卓からだった。
83年に大洋(横浜)に移籍。二番打者に定着し、85年には、高木豊、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を結成、3人で3ケタの148盗塁を記録した。
明るく、ひょうきんなキャラクターでファンからも選手からも人気を博し、90年に現役引退後はフジテレビの野球解説者として活躍した。
闘病中にはテレビ出演の機会が減っていたが、病床でもネット上のコラム『ひろかずの球心を突く』などで執筆を続けた。最終稿となった昨年12月7日には野球の星野ジャパンの話題に触れ、「しかしまだ終わりじゃありません。来年8月には北京での戦いが控えています。日本代表が成田に帰ってきた時には、胸に金メダルを下げて帰ってきてほしい!」と最後まで野球への情熱を傾ける文章で締めくくっていた。
私が好きな選手の一人である加藤博一氏に対してNETの爆弾としてお悔やみ申し上げます。
大洋時代は「蒲田行進曲」の応援歌で一世を風靡したのは記憶によみがえります。
阪神から大洋へのトレードの際に誰かから「野球止めて吉本入れ、通用するで」の逸話も持っております。
現役晩年の代打で渋いヒットは忘れません。(高木豊が最後に見逃し三振でゲームセットがお約束ですが)